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まえがきに代えて:「音楽」と「ボクの音楽武者修行」

少し時間が経ってしまいましたが、故・小澤征爾さんのご冥福を祈りつつ最初のブログ投稿をします。

小澤さんの指揮は実際に観る機会がなく、僕はピアノ弾きですのでオーケストラ音楽に触れる機会も非常に少ない。そういった意味では指揮者・小澤征爾はまさに雲の上の存在で、ただただ有名な、日本のクラシック音楽演奏家の第一人者という認識しかありませんでした。そんな人のご冥福を祈るというのもおこがましく聞こえるかもしれませんが、ただ僕にはこの2冊の本、「音楽(作曲家・武満徹氏との対談集)」と「ボクの音楽武者修行」に支えてもらった恩がありますので、勝手に親しみを込めて小澤さんそして武満さん(1996年2月没)を偲ぶ理由にしてしまいます。(そしてここではやはり勝手に親しみを込めて「小澤さん」「武満さん」と呼ばせていただきます。)

僕がいつ、どのような状況でこの本たちを手に取ったのかはもう思い出せません。20代の中頃、僕自身が音楽の武者修行をしている最中だったはずです。先に読んだのは「ボクの〜」だったと思いますが、時代背景から育った環境から何もかもが違う人の半自伝的な読み物は当時の僕にはそこまで響かなかったようで、本が手元に残っていなかったので今回買い直して改めて読み返しました。

一方で「音楽」の方は何度も読み返した形跡があり、内容も所々ですがはっきりと覚えています。持っているのが平成9年(1997年)発行の版なので、僕がピアノを勉強すると志して少ししてから買ったのでしょう。この本を読むに至った理由を記憶を頼りに説明してみます。

ピアノ専攻になって初めて付いた先生が伴奏のプロフェッショナルで、タングルウッドで小澤さんの公演のためのリハーサルピアニストを務めた事があると。それで彼のスタジオにも小澤さん指揮(サンフランシスコ響だったと思いますが、記憶がおぼろげです)のポスターが飾ってあり、とても尊敬しているんだという事を確か最初のレッスンの自己紹介で言われた。更には「武満徹を聴いてみてごらん」とも勧められ、それで武満さんの名前を初めて知った。恥ずかしながら僕自身はクラシック音楽について何も分からないまま飛び込んだので、外国人にここまで尊敬されている日本人はそれはすごいに違いないというだけで興味を持った、そういう経緯です。

「音楽」の内容で最初に思い出すのが、「日本人の音楽の聴き方は脳のはたらきからして欧米人とは異なるらしい」という件。これは武満さんがどこかで読んだ研究の記事を引っ張り出してきたものですが、「日本人とは何か」「クラシック音楽とは」といった事に常に考えを巡らせていた当時の僕にはとても響く話題でした。元々の文脈としては、日本の演奏会場や録音スタジオの音響環境について実際に経験した事から生じた疑問や警鐘を論じ合うような流れで、そこから「ノヴェンバー・ステップス」をニューヨークで演奏した時の苦労話などに続きます。日本固有の楽器を海外に持ち運んだ時の難しさ、逆に西洋で生まれた音楽や文化を、歴史ごと輸入して急ごしらえで本家に追いつかんとする事で生まれる歪み。究極的には「なぜ(日本人が)クラシック音楽なのか」といった問題に行き着きますが本書ではそこまで触れられてはおらず、僕はそれを自分のための課題として取っておくことになります。

この本の元となる対談は1978~79年に行われているので、小澤征爾43~44歳、武満徹48~49歳。小澤さんがサンフランシスコ響の音楽監督を辞任した少し後で、ボストン響を率いて日本公演、米中国交回復後初の文化使節として中国公演などを行った頃です。「日中」のみならず「米中」の国交にまで関わっている所がこの人のすごい所で、この直前にも訪中して北京中央楽団初の外国人指揮者として客演しています。生まれが満州・奉天だったという事も関係しているのでしょうか、名前の由来からしてもクラシック音楽の枠内には収まらない人生を歩むよう運命づけられていたように思えます。一方の武満さんも作曲家として脂の乗り切っていた頃で、小澤さんがトロントやボストン、サンフランシスコ響などを率いて武満作品を演奏し、または初演するなどしてお互いに名を高め合っていた輝かしい時代。話の内容も、中国の文化大革命から北京の楽団のために楽器を買い付けた話、カラヤンやミュンシュ、バーンスタインの話、日本のプロ演奏家が置かれている境遇やオペラハウスの夢、齋藤秀雄先生の「叩き」の話、三島由紀夫の死、ポリーニとゼルキン親子とロストロポービッチ・・・全てにおいてスケールの大きな、それでいて彼らにとっては日常の話ばかりが収められている。

そんな本を「教科書」と肝に銘じて読んでいたので、自然と頭でっかちというか、高い理想と音楽に対する厳しい姿勢を追い求め、それに届かない自分を許さないという難しい青年に育ってしまった感はあります。(今はそんな事はありませんが、自戒の念を込めて記しておきます。)

さて「ボクの音楽武者修行」の方は初めあまり響かなかったと書きましたが、今回改めて読み返した時に自分の武者修行と少し重なる所を見つけました(やっぱりおこがましいかな・・・)。それは「退路を絶ち、無謀ともいえる旅を決意した始まりには奇跡が起こりやすい」という事。僕はこれを「見えざる手の後押し」と呼んでいて、未だにピアノを弾くことにこだわっている大きな理由の一つでもあります。小澤さんがスクーター1台持って貨物船で欧州に向かい、2年後にはバーンスタインとニューヨーク・フィルを引き連れて凱旋帰国したような、そんな大きな話ではありません。ですが僕自身にも修行の始まりに起きたいくつかの奇跡的な出来事、それが起きている最中は認識できなかったけど後から考えると不思議にラッキーだったなというような巡り合わせがあり、それが起きるのはその時の自分が「本物」だったと今では確信しているからです。

その事については機会があればまた書こうと思います。

今回は最後に、

小澤征爾xサイトウ・キネン・オーケストラのブラームス 交響曲第1番

をおすすめとして挙げて終わりにします。

同じ曲・同じオーケストラでもバージョンがいくつか出ているようですが、1992年のライブが迫力あってとても良いと思います。(僕はYouTubeに上がっていたのを見ましたが、ここではリンクを貼らずにおこうと思います。)

それからここを起点として交響曲をしっかり聴いていこうと思っているので、小澤さんにはもう少しお世話になりそうです。

思いつくままにブログを綴っていきますのでよろしくお願いします。

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